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ニートやひきこもりが

おかしいのではない。

世の中がおかしいのだ

 

このサイトでは、以前から「世の中がおかしい」と訴えているのだが、いわゆるニートやひきこもり()の存在は、そんな「世の中のおかしさ」を象徴している。ニートやひきこもりがおかしいのではない。世の中がおかしいから、ニートやひきこもりが生まれるのだ。

 しかも日本の異常なところは、大多数の人たちが曲がりなりにもこの状態に適応してしまっていることである。

「曲りなりに」ということは、それで幸福だとか、満足しているわけではないが、何とかやっているということだ。もちろん、そこにひずみが生じ、ほころびが出ないということはない。それが端的にあらわれるのが「職場のうつ」であり、それがひいては「ニート」や「ひきこもり」につながっていく。

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副業としての太陽光発電

 

「人を相手にしない不動産投資」がある、というのは大きな発想の転換だ。人を相手にしなければ、入居者の気まぐれや素行の悪さを気にしなくてもいい。第一、空室の心配がない。立地条件に悩むこともなく、辺鄙な土地でも大丈夫だ。詳細

著作権とは、作者の権利を守ってくれるものだ

とばかり思っていました。

 

・・・たとえ作者が無名であっても。

 

 

 ですから、文化庁の著作権登録制度について知ったときには、正直言ってかなりびっくりしました。

 日本の文化庁の著作権登録が、「公表・公刊されたものだけ」を対象としていると分ったからです。

 文化庁では、著作権の『登録の手引き』というパンフレットを出していますが、それにはこう書かれています。

 「『この作品の著者は確かに私である』との証明に不安があるのなら、原稿や下書きなど作品の創作過程で作られるものを残しておけばいいのです。」

 率直に言って、これは気休めにしか聞こえません。

それは、この言葉が、侵害があった際に訴訟や裁判を提起すること前提としていると思われるからです。

盗作者、盗用者(侵害者)も裁判ともなれば相当な陣容で臨むはずです。これにかかる膨大な時間、費用、労力を思えば、たとえ手元に「原稿や下書き」があっても、躊躇せざるを得ないのが現実ではないかと思います。

作品を公表・公刊する有力な手段を持たない作者(とりわけ無名の作者)にとって、圧倒的な力の差がある者(たとえば、企業)との交渉は、常に不安が付きまといます。万一、作品やアイディアを盗用・盗作されたとしても、泣き寝入りするしかないのではないか、という不安があったとしても不思議ではありません。

 考えても見て下さい。

 無名の作者と、作品を出版・公表している企業との間には、月とスッポン以上の力の差があるのです。

 例えば、よく「新人賞」の触れ込みで作品を募集している会社がありますが、多くは受賞と引き換えに「著作権の放棄」を迫られることになっています。

 賞金として100万円もらえれば、自費出版にかかる費用とほぼ同じです。

 受賞と言う栄誉の陰で、このような金額で著作権の放棄を迫る企業の「権力」というのは相当なものだと思います。

何故なら、出版社にとっては、仮に作家が鳴かず飛ばずであったとしても、自費出版の無料キャンペーンだと思えば、100万円など大したコストではないでしょう(もちろん、審査その他にも費用はかかるでしょうが・・・)。ところが新人作者にとっての100万円とは、運良くデビュー作がヒットしたとしても、もし「一発屋」で終わりその後著作権の付いた作品が売れなければ何も残らない金額に等しいからです。

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