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自己中心思考の転換

翻訳見本

金持ちとなるための科学

(引き寄せの法則)

 

 

 ウォレス・ワトルズのThe Science of Getting Richは、自己啓発の古典として知られており、日本語でもいくつもの翻訳が出ています。下記の翻訳は、それら訳書を一切参照せず、当サイトで独自に作成したものです。

 ワトルズの思想は、「引き寄せの法則」として知られており、現在も多くの自己啓発・成功指南の考え方の基本となっています。

 ここでは、第3章までを掲載しています。全文の内容については、「ワトルズ」に関する市販書、または「引き寄せの法則」をご参照下さい。

 

 市販書の例

 『富を「引き寄せる」科学的法則』

 『富を手にする「ただひとつ」の法則』

 『確実に金持ちになる「引き寄せの法則」』

 『図解幸せとお金を引き寄せる確実な法則』

 

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3章 機会は開かれている

 

(14) 他人が富を独占しこれを障壁で囲っているがために貧しい者などない。特定の職種から締め出され仕事に就くことができないことはあるかも知れないが、また別の道も開かれているからだ。時が移れば潮の向きも変わり、社会全体としての必要性、その到達した発展段階に応じて、異なる機会が得られるのである。潮の流れに逆らわず、これに身を任せる者には溢れるほどの機会がある。よって労働者は、個人として、あるいは階級としても、機会を奪われているわけではない。労働者は、主人の力で「抑圧」されているのではないし、トラストや大企業に「搾取」されているのでもない。労働者階級が変わらないのは、彼らがある一定の仕方で行動していないからなのだ。労働者階級は、ある一定の仕方で行動し始めるならば何時でも主人の階級になれるのである。

 

(15) 富の法則は、労働者に対しても、その他すべての人々に対しても同様に働く。このことを労働者は思い知らねばならない。だからこそ彼らは現在と同じ行動を続けている限りは変わらないのである。ところが労働者階級全体としての無知と、個々の労働者がこの法則を知ることは別なのであるから、個人が潮の流れに従い豊かさへと至る機会を得ることは可能なのである。本書はその具体的な方法を述べたものだ。人が貧しいのは富が不足しているからではない。富は全員のために十分すぎるほど存在している。アメリカにある建設資材だけで、ワシントンの議事堂にも匹敵する宮殿を地上の全家族のために建てることができようし、集約的な耕法を用いるならば、この国は、贅を尽くした食事を世界中の人々が採れるだけの食糧はおろか、一人ひとりのために十分すぎるほどの羊毛、綿、リネンそして絹を生産して、栄華を極めたソロモン王の盛装よりも美しく着飾らせることができるだろう。

 

 

(16) 目に見える富は事実上尽きることなく与えられ、目に見えない富は真に無尽蔵に与えられる。地上で目にするものはすべて、ある一つのものから造られており、それが万物のみなもととなっている。常に新たな姿がかたち造られ、旧いものは滅びていくとはいえ、すべては一つのものが形を変えながら現れているのである。姿なきもの、すなわち原因となるものは尽きることなく与えられる。これこそ世界を生み出しているもとなのだが、世界を生み出してもなお尽きることがない。目に見える世界はさまざまの形をとるが、原因である姿なきもの、言わば万物の原料がその隙間にあまねく行き渡りこれを満たしているのだ。これまでに造られたより数万倍ものものが今後も造られるであろうが、そうしてもなお、世界の原料は尽きることがないはずである。ゆえに、自然が貧困であるとか、あまねく行き渡るほど豊かではないがために貧しい人などない。

 

(17) 自然は無限の豊かさを蓄えており、その恵みには不足というものがない。みなもとは創造の生気により脈打ち、常に新たな姿が産み出されている。建設資材の供給が不足すれば、生産が増加するだろう。土が痩せて食糧や衣服の素材が育たなくなったとしても、新たな土壌が作られるだろう。ありとある金銀が掘り尽くされたとしても、人類社会がなお金銀を必要とする発達段階にあるならば、新たな金銀が形なきものから造り出されるだろう。姿なきものは人類の要請に応じ、この世から善きものが失われぬように働く。これは人間社会についても言えることである。

 

(18) 人類全体は常に溢れんばかりの富を享受しており、たとえ個人に貧しい者があるとしても、自らを豊かにするような仕方で行動していないのがその理由である。姿なきものには知性があり、考えることができる。そこには生命が宿り、常に、より生あるものに向かって進む。生命には、より多くの生を生きようとする衝動が本質として備わっており、知性には自らを拡げようとする性質が、そして意識には自らの限界を超えてより十全な表現を見出そうとする性質がもとより備わっている。形ある世界は、形なき生命体が自らの表現をより全きものとせんがために、己を形に投企することによって造られた。宇宙とは巨大な生命であり、その本質はより多くの生そしてより完全な機能を目指す常なる運動である。自然が形造られた目的は生命の発展であり、生命の増大がその推進力となっている。これ故に、生命に資するものはすべて豊かに与えられている。神が御自らに反してその働きを無に帰されるのでない限りは、欠けているものなどあり得ないのだ。富が不足しているから貧しいなどということはない。これから私が示すのは、男女を問わず、ある一定の仕方で行動し考える人は、形なきものの源をも自在に操るという事実である。

 

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